国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
博物雑誌 第5号「長尾鶏ノ説」 田中房種
明治12年7月刊行
博 物 雑 誌 第 五 号 明治十二年七月刊行
天 産 及 農 業 部
○ 長 尾 鶏 ノ 説
田中房種
安政六年ノ秋刊行セル 西村広休氏ノ小品考
ニ図ヲ載テ曰ク 魏志、朝鮮有長尾鶏尾細而長
三尺、同書馬韓国出細尾鶏其尾皆五尺余注曰
土州ニテ「サザナミ」又「篠原タウ」ト云フ 形状常
鶏ニ同シテ 尾甚長ク垂ルルコト三尺或五尺許
奇ナル者ナリ 又白キ者アリ「シラフヂ」ト云フ
其尾長ク垂レテ銀藤ニ似タル故ニ 名クルナ
ルベシ云々アルヲ見ルノミニシテ 未ダ其全
形ヲ知ルコトナカリシガ 明治五年澳国博覧会
出品ノ際 高知県ヨリ長尾鶏ノ尾羽一條ヲ出
ス 細長黒色長サ九尺弐寸半アリ(今尚博物館
ニ陳列ス) 始テ其物ノ一片ヲフコトヲ得タリ
爾来益実視セントスルノ念アリト雖モ遠地
ナルヲ以テ 未タ其意ヲ果スニ由ナク常ニ隔
靴ノ憾ヲ懐キシガ 明治十一年ニ至リ捕鯨説
ノ著者吉村春峯氏ヨリ飼主ノ長尾鶏ヲ抱キ
シ写真図一枚ヲ博物館ニ献ス其記ニ曰ク 此
鶏三歳ニシテ尾長サ凡八尺アリ 土佐国長岡
郡十市村士族村田氏ノ飼養スル所ニシテ 十
年十一月写真ストアリ因テ真図ヲ得ント欲
シ 同県ニ依頼セシニ同県ノ士族島内虎兵飼
養ノモノ最モ良種ナルニ因リ画工ニ命シテ
写生セラル 然ルニ其鶏写生ノ後遂ニ斃ルル
ヲ以テ剥皮トナシ真図ト共ニ博物館ヘ送致
セリ 茲ニ於テ真形ト写生図トヲ実視スルコト
ヲ得タルハ全ク該縣ノ画力ニ由ルナリ
前條ニ述ルカ如ク 長尾鶏ノ真物ヲ得たタリト
雖モ未タ該地ニ飼養スルノ精説ヲ得ス 然ル
ニ府下ニ寄寓セル同県人垣内某ハ該鶏ノコト
ヲ審ニセリト聞キ同氏ヲ ヒ 其説ヲ問フニ
曰ク 長尾鶏ハ初メ長岡郡篠原村ヨリ出スニ
由「シノハラタウ」ト称セルナリ 天保年間高
知ニ於テ該鶏ノ飼養大ニ流行セシ時 同所鷹
匠町ノ門田氏最モ愛育セラレシ内ニ稀有ノ
雌ヲ得タリ 因テ垣内氏所畜ノ雄ニ接シテ一
層ノ良種ヲ新出スルニ至レリ方今飼養セル
モノハ即チ其種ナリト云フ 又其頃ヨリ尾羽
ヲ長ク延サシムルノ養法ヲ発明ス 其法ハ高
サ弐間広サ弐間ニ壱間ノ養檻ヲ造リ 内部ニ
ハ地上九尺許ノ所ニ架ヲ設ケ 雄鶏ノミヲ宿
セシメ食餌及ヒ水ハ皆器ニ入レ懸ケ置キテ
飲食セシム 尤モ其檻ノ中央ヨリ下ハ暗クナ
シテ自由ニ地ヲ跡マシメス 又毎朝一回ツツ
尾ヲ巻キ掲ケ持ナガラ地ヲ遊歩セシムルナ
リト云フ
長尾鶏ノ形状ハ「ミノヒキ」ニ類シ色ハ白出ノ
笹斑ニシテ胸腹共ニ黒シ 冠ハ平扁ニシテ四
ノ決刻アリ 耳辺ハ白粉ヲ塗るル如キ白色ニテ
脚ハ黄色其尾ハ黒色ニシテ最長キハ壱丈三
尺四寸 其幅各五分許長短合シテ二十條アリ
又同国ニ一種「サカワタウ」ト云アリ 高岡郡左
川村ヨリ出ツ 又一種「トウテンカウ」ト云アリ
皆「シノハラタウ」ノ別種ニシテ形状稍同シト
云フ 東京ニモ「ヲヒキ」及ビ「ミノヒキ」等アリ共に「シノハラタウ」ノ類ナレモ遠ク彼ニ及バザ
ル者ナリ
長 尾 鶏
長尾鶏ハ鶏属中最モ長尾ナル種類ニシテ 其初
ハ土佐長岡郡篠原村ヨリ出ツ因テ「シノハラタ
ウ」ノ名アリ 天保年間高知ニ於テ此鶏ノ飼養
大ニ流行セシ時ニ至リ 一層美麗ナル良種ヲ
出シ伝ヘテ今日ニ至ル 下ニ図スル所ハ即チ
其種ニシテ高知南新町住士族島内虎兵氏ノ
飼養セシ者ナリ 其尾ノ最長キハ壱丈三尺五
寸其幅各五分許長短合シテ弐十條アリ
長尾鶏ノコトハ従来書冊ニ載スルコト少シ 唯
安政六年秋刊行セル 伊勢相可西村廣休
氏ノ小品考ニ図アリ 曰く魏志、朝鮮有
長尾鶏尾細而長三尺、同書、馬韓国出
細尾鶏其尾皆五尺余、注ニ曰ク
土州ニテ「サヾナミ」又「篠原タウ」
ト云フ 形状ハ常ノ鶏ニ同シ
テ 尾甚長ク垂ルヽコト三尺
或ハ五尺許奇ナル者ナリ 又白キ者
アリ「シラフヂ」ト
云フ 其尾垂レテ
銀藤ニ似タル故ニ
名クルナルベシ云々
アルノミ
又土佐ニ一種「サカハタウ」云
フアリ 高岡郡左川村ヨリ出ツ 又
一種「トウテンカウ」ト云フアリ 皆「シ
ノハラタウ」ノ別種ニシテ形状大抵相似
タリト云フ
明治十二年七月
田中房種記
中島仰山畫
田中芳男閲
土佐のオナガドリ
土陽新聞
明治四十二年二月九日
尾長鶏(一) 五十嵐櫻埒
一月初刊の土陽新聞に土佐名物の尾長鶏の写真が出て居り、続いて米国コロンビヤ大学教授バシボルド氏の講究書も載せられ、我々の如き多年尾長鶏の飼育に心酔して居るものには頗る興味を与えられのである。近来は此の種の鶏も本県ばかりでなく、他県でも飼育せらるヽと云へは 予が多年の経験と此の鶏の性質形状等を書記したれば、或いは参考になるかも知れぬと思ふので拙ない筆を呵してヤクだらぬ一文を草して見た。
長岡郡里改田村で尾長飼ひの先輩と云はれたのは菊太郎といふ老人であった。
今は故人となったが之が頗る好き者で多年飼育した結果、此の鶏の事には精通して居つたので此の鶏は何時頃から飼ひ始め、何した事で斯くまで尾が長くなったのか、何か聞いて居ることでもないかと問ふた。スルと其の答へに私が幼年の頃ろ或老人に問ふた事があるが、其老人が私しが十二三の時分物心を知る頃ろ早諸方に飼つて居つので飼ひ始めなとは知るに由がないが何にせよ古い事であろふとの答へでなかなか分らぬとの事であつた。其後ちいろいろと調べて見たが誰とて知つたものがない、別に記録のあるのではないし今更ら其由来を詳らかにする能はざるは甚だ遺憾である。
今事新らしく云ふまでもなく此鶏は我が土佐の名産である。昔は其飼育が余程盛んで其処でも此処でも之れを見たが、近来は段々と衰へて来て余りに此の鶏を見かけぬ様になつた。夫れといふのも昔は世並みが善くて生活に困らなかつたから楽しみ一方で飼ふたゆへ蕃殖するばかりで、減ずる事がなかつたが其の後ち段々世が悪く成つたのであるから営利的の飼育と変じ又た、交通の道も開らけたので自然と県外へ売り出す様になり、イヤ県外斗りでない西洋諸国へも積み出す処ろから次第次第に其数が減少して益々衰微となつたので惜しい事には最も善き種類の尽きたものもあるらしい。近来は又た一層衰へたからツイすると此の尾長鶏といふものが全く絶滅するのではないかとまでに気遣はしくなつたのである。因て之を保護的に飼育して此の血統をして永く後世へ伝へしめたいものである。心配して居た折柄恰もよし昨今稍々飼育者の数を増し漸次流行し出したので甚だ喜ばしく思はるヽ。然るに只営利一方の飼育では甚だ物足らぬ心地がせらるヽ利は固より計るべしで決して之を排斥するではない利を計る傍ら保護的に飼育すると云ふ点にも注意し此の鶏の血統を永遠に伝へ我が土佐の名産を何時までも継続せしむるといふに注意せられん事を切望するのである。
土陽新聞
明治四十二年二月十日
尾長鶏(二) 五十嵐櫻埒
古来此鶏は範囲弘く流行せず処々に散在して小部分の人のみが飼育し来たのであるが、之は如何なる理由かといふに普通の鶏は坪なり畠なり又たは囲ひの内へ放養するから面倒がなく世話が少ないけれども、此の尾長鶏は全く趣きを異にするので甚だ面倒である。心から好きでないと一時の移り気や人の進めなどで始められる趣向でない例へば、春生れの雛が晩秋に至りて羽毛全く脱落り其の尾が一尺五六寸より二尺斗りに延びて少しく地上に曳く様になつた時を待つて戸屋に入れるのである。扨て、戸屋の高さは大凡そ五六尺横巾三四尺厚さが五六寸で上方に止留り木をこしらへ終始夫れへ止らせて置くのである。此の様に厚さを狭くする訳けは鶏が自由に後方を見返へつたり自在に身動かしする事を防ぐ為めで、前後左右に身体を動かす時は尾や尾蓑(鶏類の尾を尾蓑と称ふ)が摺り切れる恐れがあるからである。斯くの如くにして食物と飲水を与へ少時も欠乏する事のない様に注意せねばならぬ。戸屋に入れた当時二三日の間は窮屈を感するのであろふ時として暴れ出し戸前などに音立てる事がある。此時には能く注意せねば可惜ら鶏を傷める事がないとも言へぬ、二三日を経過すると其窮屈に馴れて来て自づと鎮静するのである。之れは此の鶏は人の為に此の窮屈な戸屋に入れられて飼養せらるヽといふ先天的の性質を享けて居るゆへであろふと思はるヽ、若しも普通の鶏類を如比な戸屋に入れよふものなら何時まで経つても馴れて静まる時期はない、日を経るに従ひ出たい出たいと気を急せつて益す益す暴れ狂ふのである。扨て、尾長鶏をは戸屋に入れて後ちに一日に一回若くは二回斗り出して地上に放ち自由自在に遊ばしむるのがよろしい若し、数日間地上に放たざる時は身体の発育を害するのか忽ち衰弱するゆえ大に注意を要する。之れより年月を経るに従ふて其尾及び尾蓑が次第に延長するのであるから、余程気長く世話をせねばならぬ。所謂る十年一日の如しの覚悟でかからねば世話をし仕遂げる事が出来ぬのである。茲に一つ云ふ事がある。尾が長く垂るヽにつけては勢ひ下へたくする事になる。スルと其上へ糞が落ちて穢れ汚れる患ひがあるから後ろへ、支木を●(副う)ふて尾を其上を越させ其下へ箱を置いて尾端の方を其の中へ入る様にするのが常だ。
此鶏の淵源地とも云ふべきは長岡郡で同郡中でも飼育者の多いのは浜改田、里改田、稲生、大埇、篠原、後免等である。就中里改田が有名なる流行地で尾長鶏の本家地とも云ふべきである。此鶏を俗に篠原統と称するからは何だか篠原村に因縁のある事の様に思はれる。又に篠原付近の各村が其流行地でもあり彼是考へ合はして見ると篠原村が此鶏の出身地かも知れぬ。
土陽新聞
明治四十二年二月十一日
尾長鶏(三) 五十嵐櫻埒
之れより其尾蓑が延長する現況を述べて見よふ。普通の鶏類は秋季に至ると全身の羽毛が脱け換はる。所謂るトヤをして新たな羽毛が生ずるのである。古き尾蓑が脱落して新たに生へ出る時は其の本の方を白き薄皮を以つて巻いて居る。段々と延びるに従ひ、其の薄皮が次第次第に剥落し延び詰つて止つた時には全く無くなつて仕舞ふのである。此の延び詰めた尾蓑を引抜いて其の先端を見る時は固結して鼈甲の様になつて居り、之を以て海魚を釣るシヤビキを作り、又たペンや楊子を拵らへるのである。尾長鶏の尾蓑は全く趣きを異にして居る。終身之が脱け替らぬばかりか其の本をば薄皮もて春夏秋冬絶間なく五分以上二寸近く巻いて居る、之をマキと称へるのである。尾蓑が延びるに従ひ其巻が二寸近くまでなり、先きの方からこぼれ落ちて五六分となる。試に尾蓑を引抜いて見ると普通鶏の如く其先端が固結して居らず、薄皮にて巻きたる先きから血がホタホタとこぼれ落ちる。之れ即ち日夜間断なく延びて居る所以である。皆さん鴨や小鳥の毛を引いた事があるだろふ、其毛の内に筆と称する稚毛があつて、夫れを引抜けば本の方から血が浸む尾長鶏の尾蓑は丁度これである。
先日、尾長鶏の講究書を出された米国コロンビヤ大学の教授バシボルド氏の説に食物の如何に依りて其の尾蓑が延長するのであろふと云つて居られた。成るほど食物に依つて羽毛を変ずる鳥類があるらしい、雀の子に蜜を食はすと其毛色が白くなり目白鳥に高黍のす摺り餌を食はすると黒くなるとは、古くより云ひ伝ふる処ろだが尾長鶏の尾の延びるのは決して食物の関係ではないらしい。チト残酷ではあるが数日間飲食物を与へずとも、尾蓑の延長する事は少しも止まぬのである。
日を経て終に餓死すると共に停止する訳けで、此鶏の生命のある限りは其の延長をば止めない之れが実に奇々妙々である。
此の鶏には多くの種類がある。白藤と云ひ白と云ひ黒がやりと云ひモギチと云ひエセ毛と云ひ赤といふ、白藤は其毛色白黒の混交にて、白とは純白のもの黒がやりとは黒色にして少しく白色等の混合したものを云ひ、モギチとエセ毛大差なく黒黄赤等の混合色。赤とは褐色である。之をば東天紅の尾長といふ。近時白藤に一名を付して漣浪といふと聞いたが此の名称は土佐以外で付けたものであろふと思はるヽ。洋種鶏、漣浪プリモースロックといふがある。白色に黒点があつて小鳥絞りの形状して居るから漣浪といふのも宣べなりである。大方之れから持つて来て白藤に漣浪の名を付けたのだろふと思はるヽが、夫れが甚だ適切でないものである。(前号に尾蓑といふ事を書いたが、一寸間違つて居るから正誤して置く、尾蓑とは尾と尾の本にある蓑毛を一つにして尾蓑と呼び尾長鶏には第一大切な部分である。)
土陽新聞
明治四十二年二月十三日
尾長鶏(四) 五十嵐櫻埒
扨て、何ゆえに漣浪といふが適切に無くて白藤といふのが適当なるかといふに、此の鶏(白藤と名づくるものヽ)の毛色が白色の中央に黒條があるから漣浪に形どる由がない。古来之を白藤といふのは唯其の毛色が白くて白花の藤に似たといふばかりではない。頸毛蓑毛ともに優然と垂下せる有様は初夏の候、白藤花の咲き乱れたる光景に左もよく似て居るから云ひ出したもので、面白みあり且つ優美なる名称である。我が土佐の国に於ては漣浪と云つては通用せぬ。以上数種の中で最も美麗にして壮観なるは白藤である。白藤にして理想の鶏を得たならば、夫れこそ尾長鶏中の第一位を占むるのであるがソレが何うも想ひ通りの鶏が生まれぬものである。
総て此の尾長鶏の尾蓑に就て一奇がある。何となれば普通の鶏類は単に尾と云ひ蓑毛といふのみであるが、尾長鶏は其尾蓑を小別して部分部分に依り夫れ夫れを付して字の如きものがある。一々之を挙ぐれば先づ、尾房の中央に相並らびて生ずる二本を引尾と云ひ、其下方に一本或は二本あるを裏尾と云ひ、引尾の上部にある二本をウワヨレと云ひ、其左右に上下二重に数本宛相並らびたるを脇尾と云ふ。之を小別して上部のを上尾又は、ソトコと云ひ下部のを下尾又たは、ウチコといふ。此の脇尾の中央に稍々巾弘きもの二本或は三本又は、四本あり之をコウゲと云ひ、其傍らに最も巾弘く長さ大凡そ、一尺五寸以上二尺余のもの二本或は三本又は四本ある。之をコウガイと云ふ。最も短かくして其の長さ僅かに六七寸のもの左右に数本宛相並らびたるを鴉毛又は、雌尾と云ふ。又た、蓑毛を三種に別つのであるが最も下方の分を黒蓑と云ひ、其上部にあるを単に蓑と云ひ又た、其上部に在るをキシヨウ毛と云ひ又た、化粧毛といふのである。
以上の名称に就き一々其意義を糺せば、引尾とは最も延長して地に曳くからであるのは云ふまでもなき事。裏尾とは引尾の裏面にあるからでウワヨレとは根元より其尖きに至るまでグルグルグルと綺れて居るゆえに名づけ、脇尾とは尾房の両脇にあるゆえであろふ。之を小別してウチコソトコ又は、上尾下尾とは内外上下の尾と云ふ意味であろふ。鴉尾又は、雌尾とは鴉の尾の如く雌鶏の尾の如しといふ事。キシヨウ毛と云ひ化粧毛といふは化粧毛の方が適当で粧ひの毛と云ふ訳けと聞へるが、コウゲ、コウガイに至つては何うした訳けか甚だ解釈に苦しむのである。此の名称は何時の時代に何人が付たのか誠に奇にして又、頗る興味あるを覚るのである。
此の種の鶏は秋季に至れば右各種の尾蓑を除くの外、全身の羽毛が悉く脱け替はるのであるが只尾蓑ばかりは生涯依然として原形を保ち、常に延長して停止する事のないのは前述べた通りである。斯の如く一種特別なる奇々妙々の天性を有する鶏類は実に天下無双であろふと思はるヽ。
土陽新聞
明治四十二年二月十四日
尾長鶏(五) 五十嵐櫻埒
以上は大体に就いて述べたが之より小部分に入りて聊か説明せざるを得んのである。脇尾は内こ、外こと謂ひ又、上尾下尾と区分して左右四組となりて居る。尾簑の数は鶏に依り多少の差があるから一概には謂へぬけれども先づ、右四組にて一組の数が六本づヽ有るとすれば四六廿四本となる。之が皆々延長するではない。上部より順々に下方へ数へて三番目迄は延長する。又、鶏に依り四番目迄延長するものもある。三番若くは四番目より以上は大凡、一尺以上三尺以内で停止して根本へ綿毛を出すので有る。綿毛とは軟弱にして白色のものなる事は孰れも●くに御承知なさるヽ事と思はるヽ(普通鶏の根本は皆綿毛となりて停止して居る)。故に三番目迄延長するものとすれば三四十二本となる。之に曳尾、ウワヨレ、裏尾、コウ毛を加へて廿余本斗りの尾は延長する。然るに裏尾は鶏に依りて無いのもある。又、脇尾が四番目迄延ぶものもある。又、コウ毛に多少もあるから尾の数は一定したものではない。先づ二十本以内である。又、尾の巾に広狭があり、黒簑も亦多寡がある尾巾の狭き鶏は尾数は多くても壮観にない。尾巾広くして多数有る者に若くはないのである。又、黒簑が有ると尾と共に曳きて甚だ見事なものだ。
又た、尾簑ともに其質に硬軟が有る。二三寸出でたる時には何れも硬いが、五寸若くは一尺斗りに延びると軟くなるものが有る。二三尺と延びる中には自然に切断せられるから硬きものに若くはない、硬きものに至りてはテグスの如きものがある。之は切断せらるヽの憂ひがない然るに、余り硬き尾は遂に延長する事が停止すると謂ふ憂ひが有る。実に一得一失とはこの事だ。素性の悪しき鶏は偶ま停止するもので有る。故に硬軟中間の質を供へたる者が上乗である。又、簑に平簑と筒簑の二種が有る。平簑とは平面になりて居る。筒簑とは両端が反巻しけ中央が溝の形になりて居る。例へば、丸竹を半分に割りたる如きもので、其丸みの掛りたる方が表てとなり溝の如き方が裏となつて居る。此の二種の鶏を対照せは筒簑は頗る優美にして平簑に勝る事満々で有る。尾は簑の如く著しき相違はなけれども鶏により幾分か平と筒との別が有る。之まで此の鶏の尾の長さを云はなかつたから、茲で一寸云つて置かふ前にも云つた通り命のある限り延びるものであるから、年久しく尾は飼ふほど長くなるのであるが、先づ三年鶏で一丈二尺位五年六年となると夫れよりも長くなる。十年といふ鶏は未だ見た事がない。
土陽新聞
明治四十二年二月十五日
尾長鶏(六) 五十嵐櫻埒
而して、尾の中ドヤと本尾との別がある。産尾が脱落して直ちに本尾を生ずる事と、産毛より本尾まで一足飛びに進まずして中間に於て一種の尾を生ずる事がある。之れは産毛より進化したものであるけれども、其進化の度が本尾まで達し得ず産毛と本尾のとの中間のものである。中トヤとは産毛と本尾との中間で替る尾といふ意義である。故に進化力の強きものは産毛より直ちに本尾を生ずるのである。又た、過半本尾を生じ其内の数本は中トヤの尾の変るものがある。皆悉く中トヤ斗りのものは少ないが、たまたま出来ぬにも限らぬ悉く本尾が生へ揃ひたる時には飼育者に於ては一と先づ安堵するのである。何となれば中トヤは二尺も三尺も延長した後でも抜け替への恐れがある。夫れであるから飼育者中には中トヤの尾は悉く引き抜き捨てヽ早く本尾を生ぜしむるといふ仕方を取るものもある。たまには、此中トヤの尾が何処までも延長して停止する事を知らんのもある。又た、鶏に依り数十本の尾の中にて一二本の尾が数尺延びた後ちに止らんとして巾弘くなり終に綿毛を生じても止らずして延長するものがある。是等は此鶏の奇中の奇と云はざるを得んのである。而して、本尾と中トヤと異なる点は一見して分かる。本尾の先端は鋭利なれども中トヤの先端は巾弘くしてまるみを帯て居る。
右に述べたる数種類中、其一種類の中にも亦多少の差異がある。先づ白藤種に就きて謂はん毛色大に冴へて雪の如きものと又、少しく黄みを帯びたる者がある。腹部の毛は純黒の者と又、白色の小点有るものが有る。又背の上に赤色の毛を生じて頸毛と簑毛を切断せるものが有る。之を白藤の胴切りと謂ふ。其他の数種に於ても亦、多少のの差異が有るが略して一々挙げぬので有る。又鶏に依り、其尾を右方又左方に傾斜するものが有る。之は一の欠点と謂ねばならぬ。然れども、尾簑が延長して地に曳く時に至りて、初て此傾斜が顕はれぬ様になる。何となれば尾簑を長く地に曳きたる時には、其重量が自然と其傾斜を支へるからで有る。
頭兜即ち、鶏冠に三つ切れ四つ切れ五つ六つと種々の切れ込みあるが第一等が三つ切れで、四つ切れ之れに次ぎ余り繁く切れて居るのは面白くない。又た頭兜の後方が後頭部に垂下せるは見苦るしきもので、後方が揚りて後頭と相離れたのが上乗である。体格は成るべく大きくして、丈け長く趾は高き方が立派である。体格の小なるものは尾簑が延長するに従がひ、甚だ小さく見へるものである。鶏の大小に依り大に見栄へが違ふ、体格の大なるほど壮観である。数種類の中でも興味の少ないは白、全身純白であるから少しも抑揚がない。又た、尾簑ともに巾狭く且つ、尾性の悪しきもので他の種の如く延長せぬのである。又た、其足は黄色で他の種類は皆ゴミ足である。此のゴミ足が尾長鶏の特色で其道の人に喜ばるヽのである。