本朝食鑑

 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー  古典籍資料


 食物本草は、日常食品の調和で健康を保つとの観点に立った本草書で本邦では寛永期(1624-43)以降多くの著作が現われたが、本書はその最高峰といわれる。

見出しの多くが和名であること、「華和異同」の項で和漢の違いを考察するのが特色。ただし、記文は漢文で、図はない。

著者人見必大(1642?-1701)は幕医で、野必大とも称した。

植物は食品を含めて約160品、動物は250品を記述する本書は優れた博物書でもある。

 とくに鳥類について詳しい。本書に初出する外来種は、烏骨鶏(ニワトリの品種)・唐丸(同)・ちやぼ(同)・鷓鴣(シャコ)・文鳥・紅雀‥‥と多い。

動物全般では、青大将・かましか(カモシカ)・雉鳩・嶋梟(シマフクロウ)・白梟・すつぽむ(スッポン)・真雁・むささび・ももんが、などの名が初めて出る。

叙を記した江上漁翁伯将は、岸和田藩主の岡部長泰。幼いとき、必大の父の治療を受けたので、この出版を援助したという。(磯野直秀)


 

本朝食鑑  12巻 五禽部

 丹岳野必大千里 著

 元禄10年 [1697]

 

 25/40頁 鶏

 26/40頁 〃

本朝食鑑卷五目録 禽之二 原禽類十三種

鶏 仁波止利(ニハトリ)と訓す 古訓 加介(カケ)

 釈明 庭鳥 俗称 家鶏 古俗 倶に俗称 歌人亦之を言う  其の訓上に同じ

 集觧 家々村々養す之を畜う 黄白丹黒烏骨有り 或いは丹黒有り 黄白有り 丹白有り 黄丹有り 白黒有り 黄黒有り  又三色四色駁雑なる者の有り 烏骨も亦雑色なる者の有り 大抵平生養う所の者  俗に呼びて地鳥と称す 大なる者を唐麻呂と称す 是れ素華自り来るの之謂ひか乎 麻呂は者古へ男子の之通称なり也 唐麻呂の之中冠り如き大鋸歯者の有り 呼びて大鋸(タイキリ)と称す 近時大鋸唐麻呂の之純白に脛毛無き者を勝れりと為して家々之を珎とめ 此れ等の者は蜀の之鶤鶏 楚の之傖鶏か乎 小きなる者を知也保と称す 状ち尋常の鶏に殊ず 而して脛漸一二寸許其の最も小なる者を南京知也保と号す 大さ三四寸に過ぎず 而して純白なる者を以て勝れりと為す 好叓の家之を畜ふ争い 是れ近世華の之南京自り来たれる者にして 而して矮鶏か乎 烏骨も亦近世至れる  華自りの者の五六十年に過ぎず 今処々多く之有り 古自り闘鶏の之戯れを作す者の久し矣 故に唐丸大鋸を畜て 以て其の用に當しめ 然れ地鶏の之勁剛なる能く唐丸大鋸に勝つ者の多し矣 小きなる者を惟形之微美を愛するのみ 今鶏を食う者の惟黄雌鶏を上と為し 烏骨鶏之に次ぐ 或す野人に問て曰く 鶏に文武勇仁信の五徳有り 或は曰く翰音 或は曰く司晨文王 安を問い孟子善と為す 然らば則 賢者の愛すべき之物 今村々家々の之畜と為る 是れ何の謂そや哉 野人か曰く僕等未だ賢者の之徒為たる者を識らず 民間養う所の者の三利有り 一に曰く山中田家風雨の之日昼夜の之時を知らず 

一に曰く山中田家風雨の之日昼夜の之時を知らず 伹鶏鳴て時を報す 

二曰く場庭穀菽漏脱の土砂に混す 伹鶏啄て遺さず 

三に曰く多く鶏を畜うなは 則卵を生むも亦多し 

故に時々市に販て 以て不時之利を得 此の三つの者の民間の之貨なり也 世俗に所謂る凡そ鶏夜半過ぎて 而して鳴く者は常なり也

夜半を過ぎず 而して鳴く者は常にあらず 呼びて宵鳴きと称す

以て不詳と為す 是れ荒鶏か乎 其の家主吉ならず故に之を穣ひ 其の鶏を捕へて水に投げるなは 則災を免ると也 

亦吉なるとは柤舞を起く之類や乎 其の矮鶏は者時を知らず 故に妄に鳴てべからず之を下すのみ 

別に反毛鶏老鶏有り 千本草に詳しい