軍鶏は体躯の大小により大型、普通型、小型の三種に区別せられる。
小型の軍鶏ということで小軍鶏という。
本草綱目啓蒙 蘭山小野 口授 文化 2 年[1805] [跋]
形大にして能く闘うものをシャムと云う 即ち闘鶏なり シャムの小なる者を通事と云う
飼籠鳥 (かいこどり) 佐藤成裕 文化5年(1808) 序
馬鶏 和名 シヤム
元来暹羅国より来る 故に名付てシヤムと云う 暹羅鶏なり 俗に誤ってシャモと云う
尾長鶏並に諸鶏の記(五十嵐文書)五十嵐正龍 記 大正12年
大鶤身体長大にして黒色褐色其他の数色あり性勇猛にてたゝかひを好む
古来流行に消長あり 近年又流行せり
小鶤大小の種類あり 性大志やもと同しく甚だ元気なり
黒褐色混合黒色白色其他の数色あり 足の前面に鱗の四枚並びたるも
のを四枚鱗と称へて之をよしとす 又海老尾と称へて短小なる尾を斜に垂らして海老の尾の形ちに似たるものをよしとす
又大志やも並に小志やも共丸羽と称する一種あり
蓑毛の先き丸みてめん鶏のみの毛の如し 依て丸羽と名づく
いづれもよく訓れて■らしきものなり
小志やもには近年よきもの減少せり
い志か鶏 志やもの類にして大志やも小志やもとの中間のふとさなり
志やもよりは品位劣れり 今は全く絶へたる様子なり
家禽研究 大正13年6月5日発行
日本鶏の標準 中央家禽協会協定・三井高遂追補
南京シヤモ(チビ又は小軍鶏)
本種は古く、支那より輸入したるものにして、形状は軍鶏、中軍鶏に近似し、之を極めて縮小したるもの、其の猪口才なる容子は亦以て愛玩すべし関東の南京軍鶏は、関西のチビ、又は関西以西の小軍鶏に外ならず。
而して近来東京附近に於ける本種の姿勢は、年々優良を欠き、即ち尾長く脚短く、姿勢前のめりのもの多く、全く小軍鶏の特徴を失墜せり。
体重小なるを貴ぶと雖も、軍鶏としての姿勢を失へるのは大なる欠点とす。
不合格の条項
雄三百匁以上、雌二百五十匁以上、姿勢前のめりのもの、著しく脚長く尾長きもの
標準体重
雄・・・・・二百三十匁 雌・・・・・百八十匁
若雄・・・百七十匁 若雌・・・百五十匁
濃赤笹南京軍鶏
赤笹南京軍鶏
白色南京軍鶏
黒色南京軍鶏
形状、色沢共に総て軍鶏の各種に同じ
家禽図鑑 三井高遂・衣川義雄 著 昭和8年発行
第二回日本鶏品評会 「鶏の研究」 昭和16年6月号
昭和16年4月28日~30日
小シャモ
此の部類へは種々なる型のものが包含されて居る。即ち普通称えられる小シャモの外に、所謂南京シャモ型のもの、関西地方で呼ばれて居るチビ型のもの、土佐の小シャモ型のものなど出品された。
そこで此の色々の型のものをどう審査するかが、審査委員間で問題となった。結局今回は色々の型のうちから優良なるものをとる事にしたが、将来保存会としては、他の品種と同じように、小シャモも一つの型、即ち今回一位に入賞した鶏のような体型のもののみをとる事に大体意見の一致を見た。
小シャモは元来シャモの小型なものには相違ないが、ただシャモを其の儘小さくしたようなものではなく、各部分がかなり誇張されて居るものであって欲しい。脛の如きは四枚鱗で頗る太く、それで居て前のめりにならぬものでなければならぬ。
要するに、小シャモにはユーモラスな処が多分になければ其の価値は少ない。今後此の方向に向かって改良して頂きたいと思う。
日本鶏の歴史 (昭和18年刊)
シャモは我が国に渡来してから既に年久しく、その間に多くの改良が加えられ、今日にては其の勇敢さに於て世界無比のものとなつて居る。
加之、其の肉質肉味の勝れてよい処から、肉用種としても珍重されて居る。羽色は紅笹、赤笹、黄笹、白笹、黒色、白色等に分かれて居る。
其の体重は雄鶏に於て大なるものは二貫匁に達するものがあり、小なるものは二百匁に足らぬものもある。大なるものを特に大シャモと称へ、小なるものを小シャモと呼ぶ。
又大シャモと小シャモとの中間の大きさで、雄鶏一貫二百匁、雌鶏一貫匁内外のものを普通シャモといふ。
日本鶏之歴史 増補版(昭和26年刊)
小型シャモ
来歴については何も知られていない。小型シャモは地方的特徴が現れて居り、各種各様の体型を持つに至った。
しかしそれ等を一つの品種と見、それを改良するためには、その体型を少数のものに限定する必要がある。
一. ヤマトシャモ
もと広島通事と呼ばれるものにつながるものと考えられる。
各部分の誇張甚だしく頗るゴツイ型である。
しかしこのゴツイ処に特徴があり、魅力も存するわけで、この類を好
む者が多い。体重は雄四百匁を限度とする。
二. チビシャモ
大体ヤマトシャモと同型である。ただ雄の体重の限度を二百五十匁と
する処に違いがある。
三. 小シャモ
シャモをその儘小さくしたような格好をしている。幾分の誇張はあつ
ても、チビシャモ程の誇張ののない処に特徴がある。
体重はチビシャモに同じ。
四. 南京シャモ
本種は中国よりの渡来種であるかも知れない。前三者に比べると、
体型に大きな違いがある。即ち、頭部小さく、各部の羽毛は長い。
その点シャモよりも寧ろ地鶏に近い。その動作も亦頗る敏捷である。
本種にはもと中型シャモ程度のものもいたが、今では南京シャモと言
えば小型のものだけを指す。体重は小シャモに同じ。
現在の小軍鶏は上記のチビシャモと小シャモの合成種です。
高知ではヤマトシャモ形の鶏を小軍鶏と称していましたが、品評会が盛んになるにつれ全国との交流が広がり、小軍鶏の体型がイ字よりト字型に変化が生じてきました。
洗礼された小軍鶏を作出しようと改良に日々努力している鶏人は極少数の人達になってしまった。
子供のころ小軍鶏を飼育していた人が、平成24年に60歳で飼育を再開することになり、種鶏を斡旋しましたが昔の鶏と違うと言いました。
それほど改良されたにも係わらず、納得のいく小軍鶏が未だ現れません。羽色改良の進展が見られず、逆に劣化しているのではないでしょうか。
冠は他会の審査標準では三枚冠を認めていますが、胡桃冠に統一しました。胡桃冠に準ずるものに苺冠があります。
昭和48年5月15日(1973)付けの資料によると当時は、①小軍鶏、②土佐小軍鶏(仮称)、③チビ軍鶏、④南京軍鶏と四種類に分類しようと考えていたようです。
現在では南京軍鶏は別に審査標準が定められました。チビ軍鶏は一部の地域に残存するのみでしょう。
小軍鶏審査標準(案)の相違点は以下のとおり。
①小軍鶏
大軍鶏を小さくした形で体格の誇張が見られる。
②土佐小軍鶏(仮称)
小軍鶏とチビ軍鶏の中間種で頭部は深い皺が多く凄みのある顔をして
おり体格も小軍鶏より肩幅が広く羽毛短い。
冠 ①三枚冠で小さく頭上に堅く着く。
②クルミ冠で頭上に堅く着く。
頭 ①頭骨が眼上に張り出て、顔は羽毛がまばらである。
②大きい頭骨が眼の上に張り出し顔面に深い皺が多く現れる。
眼 ①鋭く、赤栗色である。
②鋭く、赤栗色又は銀眼。
頸 ①長く、上部が少し曲がり、殆んど直立し咽元より羽毛がまばらで赤
い皮膚を現わす頸羽は短く中途より巻き上げるものもある。
②長く丈夫で直立し咽元より羽毛まばらで赤い皮膚を現し頸羽は短く
硬い。
背 ①長く肩のところが広く腿の上より次第に狭くなり、背線は尾へ向か
い斜めに下がる、鞍羽は巾狭く短く硬い。
②肩のところが広く尾へ向かって斜めに下がり腿の上より狭くなり背
線は真直ぐである。鞍羽は少なく極短く硬い。
尾 ①長さ中くらいで水平線上に垂れ、よく重なり小謡羽は内側に曲がり
主尾羽を包む。
②短くよく み水平線下に垂れ、主尾羽はよく開きエビ尾状をなす。
その他の部位については省略します。
平成26年4月現在においてはコシャモの基本形態は土佐小軍鶏(仮称)にあると結論付けることができる。
体羽のなかで鞍羽について毛長と称して排除される鶏は、小軍鶏と土佐小軍鶏(仮称)の混血の結果と言えるだろう。この毛長と尾の形に筒尾(南京シャモに由来するもの)というのが有りますがこれも欠点です。
コシャモ(小軍鶏)は土佐小軍鶏に収束されていくようです。
今後は羽色の着色をより改良を進めなければなりません。特に褐色種において雄の鶏体への着色不十分、特に翼の三角羽への着色がない鶏を高評価していることは疑問です。
審査標準に合致した羽色の小軍鶏を作出することは、この鶏種の魅力をさらに増すことになります。
古老の小軍鶏語り
小軍鶏には其の昔から二つの系統があると云われている。通事(大和軍鶏)から出たもので、明治期から昭和にかけて熊沢統と云われる一系統の小軍鶏が土佐には主として飼育されており、体重1キロ200ぐらい。羽色は油赤、笹の濃いもので肩幅広く、まるで碁盤の様に真角で肩差し良く五枚肩、脚は太く人の手の親指ぐらいあり、一寸足、頭は太く、眼光するぞく銀色にさえ、上瞼が突出、此の奥に眼ありで顔中しわだらけ、冠は大きく頭からまけ出る胡桃冠にて、いかにも闘鶏らしく此の頭にて相手を威嚇し、少々食いきられても平気である。
此の風格根性等はまあ良くも土佐人に似た所があり、私は此の小軍鶏が好きで子供のころから飼っており、友達とよく闘鶏さして楽しんだ事もありましたが、戦争という鶏にとっては多難の時代があり、今はこの系統も少なくなってしまいました。
また、もう一つの系統は昭和初期に名護山氏が作り上げたと云われる
土佐のオナガドリ
土陽新聞
明治四十二年二月九日
尾長鶏(一) 五十嵐櫻埒
一月初刊の土陽新聞に土佐名物の尾長鶏の写真が出て居り、続いて米国コロンビヤ大学教授バシボルド氏の講究書も載せられ、我々の如き多年尾長鶏の飼育に心酔して居るものには頗る興味を与えられのである。近来は此の種の鶏も本県ばかりでなく、他県でも飼育せらるヽと云へは 予が多年の経験と此の鶏の性質形状等を書記したれば、或いは参考になるかも知れぬと思ふので拙ない筆を呵してヤクだらぬ一文を草して見た。
長岡郡里改田村で尾長飼ひの先輩と云はれたのは菊太郎といふ老人であった。
今は故人となったが之が頗る好き者で多年飼育した結果、此の鶏の事には精通して居つたので此の鶏は何時頃から飼ひ始め、何した事で斯くまで尾が長くなったのか、何か聞いて居ることでもないかと問ふた。スルと其の答へに私が幼年の頃ろ或老人に問ふた事があるが、其老人が私しが十二三の時分物心を知る頃ろ早諸方に飼つて居つので飼ひ始めなとは知るに由がないが何にせよ古い事であろふとの答へでなかなか分らぬとの事であつた。其後ちいろいろと調べて見たが誰とて知つたものがない、別に記録のあるのではないし今更ら其由来を詳らかにする能はざるは甚だ遺憾である。
今事新らしく云ふまでもなく此鶏は我が土佐の名産である。昔は其飼育が余程盛んで其処でも此処でも之れを見たが、近来は段々と衰へて来て余りに此の鶏を見かけぬ様になつた。夫れといふのも昔は世並みが善くて生活に困らなかつたから楽しみ一方で飼ふたゆへ蕃殖するばかりで、減ずる事がなかつたが其の後ち段々世が悪く成つたのであるから営利的の飼育と変じ又た、交通の道も開らけたので自然と県外へ売り出す様になり、イヤ県外斗りでない西洋諸国へも積み出す処ろから次第次第に其数が減少して益々衰微となつたので惜しい事には最も善き種類の尽きたものもあるらしい。近来は又た一層衰へたからツイすると此の尾長鶏といふものが全く絶滅するのではないかとまでに気遣はしくなつたのである。因て之を保護的に飼育して此の血統をして永く後世へ伝へしめたいものである。心配して居た折柄恰もよし昨今稍々飼育者の数を増し漸次流行し出したので甚だ喜ばしく思はるヽ。然るに只営利一方の飼育では甚だ物足らぬ心地がせらるヽ利は固より計るべしで決して之を排斥するではない利を計る傍ら保護的に飼育すると云ふ点にも注意し此の鶏の血統を永遠に伝へ我が土佐の名産を何時までも継続せしむるといふに注意せられん事を切望するのである。
土陽新聞
明治四十二年二月十日
尾長鶏(二) 五十嵐櫻埒
古来此鶏は範囲弘く流行せず処々に散在して小部分の人のみが飼育し来たのであるが、之は如何なる理由かといふに普通の鶏は坪なり畠なり又たは囲ひの内へ放養するから面倒がなく世話が少ないけれども、此の尾長鶏は全く趣きを異にするので甚だ面倒である。心から好きでないと一時の移り気や人の進めなどで始められる趣向でない例へば、春生れの雛が晩秋に至りて羽毛全く脱落り其の尾が一尺五六寸より二尺斗りに延びて少しく地上に曳く様になつた時を待つて戸屋に入れるのである。扨て、戸屋の高さは大凡そ五六尺横巾三四尺厚さが五六寸で上方に止留り木をこしらへ終始夫れへ止らせて置くのである。此の様に厚さを狭くする訳けは鶏が自由に後方を見返へつたり自在に身動かしする事を防ぐ為めで、前後左右に身体を動かす時は尾や尾蓑(鶏類の尾を尾蓑と称ふ)が摺り切れる恐れがあるからである。斯くの如くにして食物と飲水を与へ少時も欠乏する事のない様に注意せねばならぬ。戸屋に入れた当時二三日の間は窮屈を感するのであろふ時として暴れ出し戸前などに音立てる事がある。此時には能く注意せねば可惜ら鶏を傷める事がないとも言へぬ、二三日を経過すると其窮屈に馴れて来て自づと鎮静するのである。之れは此の鶏は人の為に此の窮屈な戸屋に入れられて飼養せらるヽといふ先天的の性質を享けて居るゆへであろふと思はるヽ、若しも普通の鶏類を如比な戸屋に入れよふものなら何時まで経つても馴れて静まる時期はない、日を経るに従ひ出たい出たいと気を急せつて益す益す暴れ狂ふのである。扨て、尾長鶏をは戸屋に入れて後ちに一日に一回若くは二回斗り出して地上に放ち自由自在に遊ばしむるのがよろしい若し、数日間地上に放たざる時は身体の発育を害するのか忽ち衰弱するゆえ大に注意を要する。之れより年月を経るに従ふて其尾及び尾蓑が次第に延長するのであるから、余程気長く世話をせねばならぬ。所謂る十年一日の如しの覚悟でかからねば世話をし仕遂げる事が出来ぬのである。茲に一つ云ふ事がある。尾が長く垂るヽにつけては勢ひ下へたくする事になる。スルと其上へ糞が落ちて穢れ汚れる患ひがあるから後ろへ、支木を●(副う)ふて尾を其上を越させ其下へ箱を置いて尾端の方を其の中へ入る様にするのが常だ。
此鶏の淵源地とも云ふべきは長岡郡で同郡中でも飼育者の多いのは浜改田、里改田、稲生、大埇、篠原、後免等である。就中里改田が有名なる流行地で尾長鶏の本家地とも云ふべきである。此鶏を俗に篠原統と称するからは何だか篠原村に因縁のある事の様に思はれる。又に篠原付近の各村が其流行地でもあり彼是考へ合はして見ると篠原村が此鶏の出身地かも知れぬ。
土陽新聞
明治四十二年二月十一日
尾長鶏(三) 五十嵐櫻埒
之れより其尾蓑が延長する現況を述べて見よふ。普通の鶏類は秋季に至ると全身の羽毛が脱け換はる。所謂るトヤをして新たな羽毛が生ずるのである。古き尾蓑が脱落して新たに生へ出る時は其の本の方を白き薄皮を以つて巻いて居る。段々と延びるに従ひ、其の薄皮が次第次第に剥落し延び詰つて止つた時には全く無くなつて仕舞ふのである。此の延び詰めた尾蓑を引抜いて其の先端を見る時は固結して鼈甲の様になつて居り、之を以て海魚を釣るシヤビキを作り、又たペンや楊子を拵らへるのである。尾長鶏の尾蓑は全く趣きを異にして居る。終身之が脱け替らぬばかりか其の本をば薄皮もて春夏秋冬絶間なく五分以上二寸近く巻いて居る、之をマキと称へるのである。尾蓑が延びるに従ひ其巻が二寸近くまでなり、先きの方からこぼれ落ちて五六分となる。試に尾蓑を引抜いて見ると普通鶏の如く其先端が固結して居らず、薄皮にて巻きたる先きから血がホタホタとこぼれ落ちる。之れ即ち日夜間断なく延びて居る所以である。皆さん鴨や小鳥の毛を引いた事があるだろふ、其毛の内に筆と称する稚毛があつて、夫れを引抜けば本の方から血が浸む尾長鶏の尾蓑は丁度これである。
先日、尾長鶏の講究書を出された米国コロンビヤ大学の教授バシボルド氏の説に食物の如何に依りて其の尾蓑が延長するのであろふと云つて居られた。成るほど食物に依つて羽毛を変ずる鳥類があるらしい、雀の子に蜜を食はすと其毛色が白くなり目白鳥に高黍のす摺り餌を食はすると黒くなるとは、古くより云ひ伝ふる処ろだが尾長鶏の尾の延びるのは決して食物の関係ではないらしい。チト残酷ではあるが数日間飲食物を与へずとも、尾蓑の延長する事は少しも止まぬのである。
日を経て終に餓死すると共に停止する訳けで、此鶏の生命のある限りは其の延長をば止めない之れが実に奇々妙々である。
此の鶏には多くの種類がある。白藤と云ひ白と云ひ黒がやりと云ひモギチと云ひエセ毛と云ひ赤といふ、白藤は其毛色白黒の混交にて、白とは純白のもの黒がやりとは黒色にして少しく白色等の混合したものを云ひ、モギチとエセ毛大差なく黒黄赤等の混合色。赤とは褐色である。之をば東天紅の尾長といふ。近時白藤に一名を付して漣浪といふと聞いたが此の名称は土佐以外で付けたものであろふと思はるヽ。洋種鶏、漣浪プリモースロックといふがある。白色に黒点があつて小鳥絞りの形状して居るから漣浪といふのも宣べなりである。大方之れから持つて来て白藤に漣浪の名を付けたのだろふと思はるヽが、夫れが甚だ適切でないものである。(前号に尾蓑といふ事を書いたが、一寸間違つて居るから正誤して置く、尾蓑とは尾と尾の本にある蓑毛を一つにして尾蓑と呼び尾長鶏には第一大切な部分である。)
土陽新聞
明治四十二年二月十三日
尾長鶏(四) 五十嵐櫻埒
扨て、何ゆえに漣浪といふが適切に無くて白藤といふのが適当なるかといふに、此の鶏(白藤と名づくるものヽ)の毛色が白色の中央に黒條があるから漣浪に形どる由がない。古来之を白藤といふのは唯其の毛色が白くて白花の藤に似たといふばかりではない。頸毛蓑毛ともに優然と垂下せる有様は初夏の候、白藤花の咲き乱れたる光景に左もよく似て居るから云ひ出したもので、面白みあり且つ優美なる名称である。我が土佐の国に於ては漣浪と云つては通用せぬ。以上数種の中で最も美麗にして壮観なるは白藤である。白藤にして理想の鶏を得たならば、夫れこそ尾長鶏中の第一位を占むるのであるがソレが何うも想ひ通りの鶏が生まれぬものである。
総て此の尾長鶏の尾蓑に就て一奇がある。何となれば普通の鶏類は単に尾と云ひ蓑毛といふのみであるが、尾長鶏は其尾蓑を小別して部分部分に依り夫れ夫れを付して字の如きものがある。一々之を挙ぐれば先づ、尾房の中央に相並らびて生ずる二本を引尾と云ひ、其下方に一本或は二本あるを裏尾と云ひ、引尾の上部にある二本をウワヨレと云ひ、其左右に上下二重に数本宛相並らびたるを脇尾と云ふ。之を小別して上部のを上尾又は、ソトコと云ひ下部のを下尾又たは、ウチコといふ。此の脇尾の中央に稍々巾弘きもの二本或は三本又は、四本あり之をコウゲと云ひ、其傍らに最も巾弘く長さ大凡そ、一尺五寸以上二尺余のもの二本或は三本又は四本ある。之をコウガイと云ふ。最も短かくして其の長さ僅かに六七寸のもの左右に数本宛相並らびたるを鴉毛又は、雌尾と云ふ。又た、蓑毛を三種に別つのであるが最も下方の分を黒蓑と云ひ、其上部にあるを単に蓑と云ひ又た、其上部に在るをキシヨウ毛と云ひ又た、化粧毛といふのである。
以上の名称に就き一々其意義を糺せば、引尾とは最も延長して地に曳くからであるのは云ふまでもなき事。裏尾とは引尾の裏面にあるからでウワヨレとは根元より其尖きに至るまでグルグルグルと綺れて居るゆえに名づけ、脇尾とは尾房の両脇にあるゆえであろふ。之を小別してウチコソトコ又は、上尾下尾とは内外上下の尾と云ふ意味であろふ。鴉尾又は、雌尾とは鴉の尾の如く雌鶏の尾の如しといふ事。キシヨウ毛と云ひ化粧毛といふは化粧毛の方が適当で粧ひの毛と云ふ訳けと聞へるが、コウゲ、コウガイに至つては何うした訳けか甚だ解釈に苦しむのである。此の名称は何時の時代に何人が付たのか誠に奇にして又、頗る興味あるを覚るのである。
此の種の鶏は秋季に至れば右各種の尾蓑を除くの外、全身の羽毛が悉く脱け替はるのであるが只尾蓑ばかりは生涯依然として原形を保ち、常に延長して停止する事のないのは前述べた通りである。斯の如く一種特別なる奇々妙々の天性を有する鶏類は実に天下無双であろふと思はるヽ。
土陽新聞
明治四十二年二月十四日
尾長鶏(五) 五十嵐櫻埒
以上は大体に就いて述べたが之より小部分に入りて聊か説明せざるを得んのである。脇尾は内こ、外こと謂ひ又、上尾下尾と区分して左右四組となりて居る。尾簑の数は鶏に依り多少の差があるから一概には謂へぬけれども先づ、右四組にて一組の数が六本づヽ有るとすれば四六廿四本となる。之が皆々延長するではない。上部より順々に下方へ数へて三番目迄は延長する。又、鶏に依り四番目迄延長するものもある。三番若くは四番目より以上は大凡、一尺以上三尺以内で停止して根本へ綿毛を出すので有る。綿毛とは軟弱にして白色のものなる事は孰れも●くに御承知なさるヽ事と思はるヽ(普通鶏の根本は皆綿毛となりて停止して居る)。故に三番目迄延長するものとすれば三四十二本となる。之に曳尾、ウワヨレ、裏尾、コウ毛を加へて廿余本斗りの尾は延長する。然るに裏尾は鶏に依りて無いのもある。又、脇尾が四番目迄延ぶものもある。又、コウ毛に多少もあるから尾の数は一定したものではない。先づ二十本以内である。又、尾の巾に広狭があり、黒簑も亦多寡がある尾巾の狭き鶏は尾数は多くても壮観にない。尾巾広くして多数有る者に若くはないのである。又、黒簑が有ると尾と共に曳きて甚だ見事なものだ。
又た、尾簑ともに其質に硬軟が有る。二三寸出でたる時には何れも硬いが、五寸若くは一尺斗りに延びると軟くなるものが有る。二三尺と延びる中には自然に切断せられるから硬きものに若くはない、硬きものに至りてはテグスの如きものがある。之は切断せらるヽの憂ひがない然るに、余り硬き尾は遂に延長する事が停止すると謂ふ憂ひが有る。実に一得一失とはこの事だ。素性の悪しき鶏は偶ま停止するもので有る。故に硬軟中間の質を供へたる者が上乗である。又、簑に平簑と筒簑の二種が有る。平簑とは平面になりて居る。筒簑とは両端が反巻しけ中央が溝の形になりて居る。例へば、丸竹を半分に割りたる如きもので、其丸みの掛りたる方が表てとなり溝の如き方が裏となつて居る。此の二種の鶏を対照せは筒簑は頗る優美にして平簑に勝る事満々で有る。尾は簑の如く著しき相違はなけれども鶏により幾分か平と筒との別が有る。之まで此の鶏の尾の長さを云はなかつたから、茲で一寸云つて置かふ前にも云つた通り命のある限り延びるものであるから、年久しく尾は飼ふほど長くなるのであるが、先づ三年鶏で一丈二尺位五年六年となると夫れよりも長くなる。十年といふ鶏は未だ見た事がない。
土陽新聞
明治四十二年二月十五日
尾長鶏(六) 五十嵐櫻埒
而して、尾の中ドヤと本尾との別がある。産尾が脱落して直ちに本尾を生ずる事と、産毛より本尾まで一足飛びに進まずして中間に於て一種の尾を生ずる事がある。之れは産毛より進化したものであるけれども、其進化の度が本尾まで達し得ず産毛と本尾のとの中間のものである。中トヤとは産毛と本尾との中間で替る尾といふ意義である。故に進化力の強きものは産毛より直ちに本尾を生ずるのである。又た、過半本尾を生じ其内の数本は中トヤの尾の変るものがある。皆悉く中トヤ斗りのものは少ないが、たまたま出来ぬにも限らぬ悉く本尾が生へ揃ひたる時には飼育者に於ては一と先づ安堵するのである。何となれば中トヤは二尺も三尺も延長した後でも抜け替への恐れがある。夫れであるから飼育者中には中トヤの尾は悉く引き抜き捨てヽ早く本尾を生ぜしむるといふ仕方を取るものもある。たまには、此中トヤの尾が何処までも延長して停止する事を知らんのもある。又た、鶏に依り数十本の尾の中にて一二本の尾が数尺延びた後ちに止らんとして巾弘くなり終に綿毛を生じても止らずして延長するものがある。是等は此鶏の奇中の奇と云はざるを得んのである。而して、本尾と中トヤと異なる点は一見して分かる。本尾の先端は鋭利なれども中トヤの先端は巾弘くしてまるみを帯て居る。
右に述べたる数種類中、其一種類の中にも亦多少の差異がある。先づ白藤種に就きて謂はん毛色大に冴へて雪の如きものと又、少しく黄みを帯びたる者がある。腹部の毛は純黒の者と又、白色の小点有るものが有る。又背の上に赤色の毛を生じて頸毛と簑毛を切断せるものが有る。之を白藤の胴切りと謂ふ。其他の数種に於ても亦、多少のの差異が有るが略して一々挙げぬので有る。又鶏に依り、其尾を右方又左方に傾斜するものが有る。之は一の欠点と謂ねばならぬ。然れども、尾簑が延長して地に曳く時に至りて、初て此傾斜が顕はれぬ様になる。何となれば尾簑を長く地に曳きたる時には、其重量が自然と其傾斜を支へるからで有る。
頭兜即ち、鶏冠に三つ切れ四つ切れ五つ六つと種々の切れ込みあるが第一等が三つ切れで、四つ切れ之れに次ぎ余り繁く切れて居るのは面白くない。又た頭兜の後方が後頭部に垂下せるは見苦るしきもので、後方が揚りて後頭と相離れたのが上乗である。体格は成るべく大きくして、丈け長く趾は高き方が立派である。体格の小なるものは尾簑が延長するに従がひ、甚だ小さく見へるものである。鶏の大小に依り大に見栄へが違ふ、体格の大なるほど壮観である。数種類の中でも興味の少ないは白、全身純白であるから少しも抑揚がない。又た、尾簑ともに巾狭く且つ、尾性の悪しきもので他の種の如く延長せぬのである。又た、其足は黄色で他の種類は皆ゴミ足である。此のゴミ足が尾長鶏の特色で其道の人に喜ばるヽのである。