鶉矮鶏

 高知県吾川郡いの町鹿敷の原産にて、古くは鹿敷統(カシキトウ)の名称あり。住人の 町田幸兵衞(1837~1903)の時代、お株(尾株)と言われる鶏が現れ、泰造(1867~1938)の時代に淘汰改良の結果、愛玩鶏として鑑賞に価する立姿の優美な鶏の完成を見たものである。

 



 

 日本家禽全書  日本家禽協会  明治38年1月25日 (1905) 発行

                 明治39年2月10日 (1906) 再版

                    明治40年11月30日 (1906) 改訂増補三版

  鶉矮鶏

 

  此種の羽色は前種に等しく而して、即ち無尾種に属する可き者なり。       

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  簡単に述べ、羽色は褐色(赤笹)のみをあげている。

 鶉矮鶏は挿絵から現代の鶉矮鶏と遜色はない。

 

              7 鶉矮鶏



家禽審査標準 

        早乙女勇五郎 編 大日本家禽会 

                  大正11年10月 (1922)

 鶉尾チャボ

  雌雄の形状

 大さ中等

 一枚冠にして稍々小、五歯に分裂す

肉髯及び耳朶

  肉髯は大さ中等にして円く 耳朶は小

 短く太く 豊富にして頸羽は能く肩に被る

 円く充実す

腹部及び軟羽

  腹部は充実し軟羽短し

 大さ中等にして能く褶み程好く位置す

 短くして根部能く開張し腹部に向て曲生し内方に湾曲す

脚及び趾

  腿は長さ中等 脛は長さ中等にして稍太く 趾は真直にして開張す

 

 雌雄の色沢

  パートリッヂ・コーチンに相似たるを以て之を略す

 

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 鶉尾チャボは尾は短く開帳し、湾曲すると説明されているので別形態の鶏であることが推察される。

 

 尾長鶏並びに諸鶏の記(五十嵐正龍、大正12年)に云う、鶉尾鶏のことであろうか。

  



 

 尾長鶏並に諸鶏の記(五十嵐文書)五十嵐正龍 記 

                               大正12年(1923) 

 

 鹿敷統一名鶉ちゃぼと称し、又矮鶏とも称ふ。数十年前、吾川郡神谷村鹿敷にて、人為的配合孵化の結果産出せり。身体矮小にして、褐色、黒色又は白色、桜碁石等数種あり、鶉尾鶏に似て、天性尾なしめんおん共蓑毛のみなり。変化して尾を生ずるものは之を排斥して劣等なりとせり。故に鶏の優劣は尾の有無を以て定まれり。其の尾の皆無なるものを良種とせり

 

 鳥類は尾に長短の相違はあれど、天下の鳥類に尾のなきものはあらざるべし。鳥は尾がありてこそ、初めて姿勢が整うものなり。此の鳥は全く尾なきを以て其の後方が甚だ不格好にて物足らぬ観あり極めて下品にして見るに足らず、然るに今、大いに流行して其価貴し世には奇を好む人もあるものなり。

 

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 同書には、鹿敷統一名鶉ちゃぼと同様に以下の鶏についての説明が述べられている。

 

   鶉尾鶏

鶉尾鶏身体矮小にして褐色なり 其尾長からずして

丸く巻き込み甚だ上品にて■らしきものなり性温順なり

此種類は前年県外にて流行せし多く売り出して今全

く絶へたる様子なりいとおしき事なり

 

 丸尾鶏 

丸尾鶏右に記したる鶉尾鶏によく似たものなり 鶉尾よりは

品位劣れり今全く絶へたる様子なり

 

 鶉尾の尾曳鶏

鶉尾の尾曳鶏身体矮小にして褐色なり 尾蓑長く地に

たれて見事なり 今各所に飼育せり

 

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 鶉尾鶏については、正体は不明である。

家禽図鑑に記述のある蝦尾矮鶏と同じであるかは分からない。

両者ともに尾羽を有する鶏種であったことは間違いない。

 

 丸尾鶏は丸尾鶉矮鶏、丸尾チャボ、尾丸と称された鶏種にて、鹿敷統に対して原統(家禽図鑑に記載あり)

といわれた鶏種と考えられる。

 

 鶉尾の尾曳鶏は現在の蓑曳矮鶏の原鶏と成った考えられる。

 


 

鶉尾鶏と考えられる細密画である。

鶉矮鶏の立ち姿に比べ胴が長く、

前傾姿勢となっている。

 


鶉矮鶏 内種の細密画

 白色種      黒色種     三色碁石種



 

家禽標準

 中央家禽協会編纂 大正12年1月12日

 

白色鶉矮鶏雌雄

家禽標準 中央家禽協会編纂 大正12年1月12日

 

 尾無鶉矮鶏(カシキ)

 

  本種は土佐国の原産にして二百年以前より飼養せらる。

 元小形の地鶏より偶生したるを更に淘汰改良し、今日の如く固定したるものにして、尾骨なきが故に尾羽発育せず、彼の長尾鶏と対比して

 一奇観を呈す。

 愛玩も茲に至りて人工の極致と称すべし。

 原種は褐色にして別にカシキ統の称あり。内種として白色、黒色、赤色、桜碁石種等を有す。

 本種の特徴は尾骨なきにあるが故に、其之あるは大なる欠点とす。

 本種の形態極めて珍奇なるがために流行の兆あり。

 而して脚成るべく短くして、翼羽地に達する底のものを以て最上とし、原産地に於いて此の理想に向かって改良を進めつつあり。

 



 

飼ひ鳥 七講(上)

 三井高遂

 大正15年(1926)

鶉矮鶏

 

 土佐に鶉矮鶏といふのがあります。これは東京で見る矮鶏とは全然趣を異にしてをりますが、大きさだけが矮鶏と同じやうに小さいといふのを以て、廣い意味で矮鶏の仲間に入れてをるのであります。

 又尾無矮鶏とも呼ばれてをります。言ふ迄もなく尾がないところからかう名づけられたのであります。

形が鶉に似てゐるのでかう名ずけられたのでありますが、この名は新しくつけられたもので、明治四十年頃まではカシキ統と云はれてゐたものでありますが、これは土佐以外には全然居らないものでありまして、珍鶏の一つに数へられてをります。

 



 

家禽図鑑 三井高遂・衣川義雄 共著  昭和8年発行

 

 尾丸矮鶏

 

  来  歴

 本種は高知県土佐郡小高坂村字新屋敷に於て作出せらしものにして、慶応年間土佐国中到る処鶉型なる短尾の矮鶏の飼養が流行し、之れをウヅラ尾と称せしが、同地に軽格の士族原甚作氏方に於ても簑曳及び鹿敷統など数種の矮鶏を飼養し、且つ各種矮鶏の交雑を行つたのであつた。

 

 鶉矮鶏 

 

 羽色について、「原種は褐色にして 其他に内種として白色黒色赤色桜碁石等を有する。」として、赤色種について「雌雄共嘴は黄色。眼は赤色。顔面・冠・肉髯は鮮赤色。耳朶は白色。脛は黄色。羽装は光輝ある赤栗色にして雄の頸羽・鞍羽及び箕羽・雌の頸羽等はに金属性の光輝がある。」

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 また、桜碁石につて「白・黒・褐の三色にして実は三色碁石なれども、土佐に於ては之を桜碁石と称へている。本種の羽色は普通チャボの三色碁石と同様である。」と述べている。

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土佐産の鶉矮鶏は明らかに地鶏よりの遇出にして、両者の中間型即ち鶉矮鶏に似て尾羽が少しく伸び出でて且つ下方に向けるものがあり、之を蝦尾矮鶏と云ふ。

  家禽図鑑 三色碁石鶉矮鶏
  家禽図鑑 三色碁石鶉矮鶏


 

 天然記念物調査報告 動物之部 第三輯 文部省  昭和13年1月20日発行

              

 その体躯は矮小で、一見鶉に似るを以てその名がある訳で、一升枡に 一番入る位を標準とするのである。

併し近頃は稍々大きくなつたと云はれる。

 

 最初に現れたのは褐色型で、白色型之に次ぎ黒色、白藤及び三色斑の三型は最近の作出に係るものと云はれる。

 

 黒色種は高知市で作出せられたもので、青光帯びた黒い羽毛をまとつて居るが、まだ十分に固定された訳ではなく、しばしば肩に褐色の羽毛を現出する。

 

 黒色鶉矮鶏には青黒色のいはゆる芥色の脚を有つものもあるが、脚は一般に黄色を貴ぶことになつて居る。

  



 

 鶉矮鶏(ウズラチャボ)は天然記念物指定時の官報告示名称です。

 

 現在、鶉尾(ウズラオ)と表記する某保存会の書籍等により名称に混乱を生じております。

 

 古くは鹿敷統(カシキトウ)と呼ばれ、明治38年刊行「日本家禽全書」に鶉矮鶏として、形態図が示されています。

 

 大正12年、五十嵐氏は鶉尾鶏(尾骨を有し、短く巻き込んだ尾を持った鶏と想像される。)、鶉尾の尾曳鶏(現在の蓑曳矮鶏の原鶏のような鶏と想像する。)の鶏名をあげ、鶉矮鶏と区別されています。

 

 大正12年1月12日発行 家禽標準 中央家禽協会編纂では尾無鶉矮鶏(カシキ)と称し、標準画には白色鶉矮鶏の名称を使用しています。 

 

 大正15年、三井氏は褐色鶉矮鶏の写生画を示し、尾無矮鶏の名称も記録されています。

 

最近(平成25年9月13日)、うずら尾チャボ、鶉尾矮鶏と表記されたものを見つけました。