鶉矮鶏

 天然記念物調査報告 動物之部 第三輯 文部省 昭和13年1月20日

  37頁~39頁 畜養動物の天然記念物 鶉矮鶏


 

 鶉矮鶏は長尾鶏と面白い対照をなすもので、痕跡的な尾骨を有するものもあるが、一般に尾骨と油壺を欠き、従って尾羽をもたないものだある。 その体躯は矮小で、一見鶉に似るを以てその名がある訳で、大きさは一升枡に一番入る位を標準とするのである。 併し近頃は稍々大きくなったと云はれる。

 

 鶉矮鶏には褐色、白色、黒色、白藤、三色斑等の系統が識別されるが、そのうち最初に現れたものは褐色型で、白色型之に亞ぎ、黒色、白藤及び三色斑の三型は最近の作出に係るものと云はれる。

 

 この鶉矮鶏がいつ頃現れたかは文献の徴すべきものはない。

口碑の伝へるところによると、大阪夏の陣の落武者大野修理助一統が高知県高岡郡、幡多郡の山間地方に逃れて来たときに褐色鶉矮鶏に似たものを持って来たが、それが次第に南方へ播布し、今から百五十年程前に吾川郡神谷村鹿敷で著しく改良されたと云ふのであって、今でも高知市辺りの古老はこの矮鶏を鹿敷統と呼んで居るさうである。

 

 又幡多郡地方でも独特の改良が加へられたさうで、優良なものは大正の末頃に長岡郡の南部地方に齎(もたら)されて従来飼育のものと交配し、著しく改良されたと云はれる。 更に長岡郡三和村地方に伝はる口碑に依ると、附会なことではあるが、矮鶏の尾部が犬に咬み切られたがため、その子孫に尾骨のないものが出来たと云はれる。

 兎に角この鶉矮鶏は恐らく普通の矮鶏から偶然に現れたのもであろう。

 

 白色鶉矮鶏は雪白であるが、褐色鶉矮鶏は褐色と黒色の光沢ある羽毛で蔽はれて居る。 黒色鶉矮鶏は高知市で作出されたもので、青光を帯びた黒い羽毛をまとつて居るが、まだ十分に固定された訳ではなく、青光を帯びた黒い羽毛をまとって居るが、屡々肩に褐色の羽毛を現出する。 白藤鶉矮鶏は白藤長尾鶏に似て頸の簑羽は白いが、体羽は黒白混交である。三色斑鶉矮鶏は桜碁石とも呼び、褐色種と白色種との交配により出来たもので、黒、褐、白の羽毛が三色斑をなして居るが、その混交の程度は個体により多様である。 それ等の鶉矮鶏の肉冠は四つ切を理想とするが、五つ切或はそれ以上のものも見られる。 耳朶は楕円形で白く、頸は短くて太く、体躯も短くて円く、尾羽を欠き、簑羽が長くて腹部に沿ふて湾曲垂下して居り、雅緻のある流線美を呈するものである。 黒色鶉矮鶏には青黒色のいはゆる芥色の脚を有つものもあるが、脚は一般に黄色を貴ぶことになって居る。

 

 本種の標準体重は雄六八〇瓦、雌五〇〇瓦である。普通七、八歳位まで生存し得るが、採種は専ら生後三、四年に行はれるのであつて、その最適の期節は春(三、四月)秋(九、十月)の二回である。 雌の生殖門が体羽で全く蔽はれて居るので、交尾の際にはその体羽を切断して受精を容易ならしめるやうにする。 雛は斃死し易く、その飼育は最も困難と云はれて居る。 餌料には主として摺秕と野菜を用い、糞のしまりを良くするために時々消炭を給与して居る。

 

 色々の系統のうちで最も珍重がられるのは白色型で、一番十五,六円であり、褐色型は一番十円位の相場になつて居る。 現今高知県下に飼はれて居る鶉矮鶏は褐色型五十番、白色型十番、黒色型五番、白藤型三番、三色斑五番位に過ぎないと云はれる。

 

 この鶉矮鶏は昭和十ニ年六月天然記念物に指定せられたのである。